2010年11月29日月曜日

歴代誌 第一 7章

歴代誌 第一 7章


1 イッサカル族の者は、トラ、プア、ヤシュブ、シムロンの四人。

2 トラの子は、ウジ、レファヤ、エリエル、ヤフマイ、イブサム、シェムエル。これは彼ら一族の、すなわち、トラのかしらであって、彼らの家系の勇士であった。その数はダビデの時代には二万二千六百人であった。

3 ウジの子たちは、イゼラヘヤ。イゼラヘヤの子たちは、ミカエル、オバデヤ、ヨエル、イシヤ。合わせて五人。彼らはみなかしらであった。

4 この人々に加えて、彼ら一族の者、彼らの家系の者で、戦いに備えた軍隊は三万六千人であった。彼らは多くの妻子を得たからである。

5 イッサカル全氏族の同胞で、系図に載せられた勇士は全部で八万七千人であった。

6 ベニヤミンは、ベラ、ベケル、エディアエルの三人。

7 ベラの子は、エツボン、ウジ、ウジエル、エリモテ、イリの五人。これらは彼らの一族のかしらであり、勇士であった。系図に載せられた者は二万二千三十四人であった。

8 ベケルの子は、ゼミラ、ヨアシュ、エリエゼル、エルヨエナイ、オムリ、エレモテ、アビヤ、アナトテ、アレメテ。これらはみなベケルの子であった。

9 その子孫のうち、彼らの系図に載せられた一族のかしらで勇士である者の数は、二万二百人であった。

10 エディアエルの子たちは、ビルハン。ビルハンの子たちは、エウシュ、ベニヤミン、エフデ、ケナアナ、ゼタン、タルシシュ、アヒシャハル。

11 これらはみなエディアエルの子であった。彼らは、一族のかしらであり勇士であって、一万七千二百人、従軍して戦いに出る者であった。

12 シュピムとフピムは、イルの子であり、フシムがアヘルの子であった。

13 ナフタリの子は、ヤハツィエル、グニ、エツェル、シャルム。これらはビルハの子であった。

14 マナセの子は、アスリエル、―彼のアラム人のそばめが産んだ。彼女はギルアデの父マキルを産んだ。

15 マキルはフピムとシュピムのために妻をめとった。彼の妹の名をマアカと言った。―それから次男の名はツェロフハデ。ツェロフハデには女の子どもたちがあった。

16 マキルの妻マアカは男の子を産み、その名をペレシュと呼んだ。その弟の名はシェレシュであり、その子はウラムとレケムであった。

17 ウラムの子は、ベダン。これらがマナセの子マキルの子ギルアデの子であった。

18 また、彼の妹モレケテは、イシュホデ、アビエゼル、マフラを産んだ。

19 それから、シェミダの子は、アフヤン、シェケム、リクヒ、アニアムであった。

20 エフライムの子たちは、シュテラフ、その子、ベレデ、その子のタハテ、その子のエルアダ、その子のタハテ、

21 その子のザバデ、その子のシュテラフ。それに、エゼル、エルアデであるが、彼らはこの地の生まれであるガテの人々に殺された。彼らが家畜を奪おうとして下って行ったからである。

22 彼らの父エフライムは、何日もの間、喪に服したので、彼の兄弟たちが来て、彼を慰めた。

23 その後、エフライムは、妻のところに入った。彼女はみごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいのさなかにあったからである。

24 彼の娘はシェエラであった。彼女は上および下ベテ・ホロン、およびウゼン・シェエラを建てた。

25 彼の子はレファフ、レシェフ、その子はテラフ、その子はタハン、

26 その子はラダン、その子はアミフデ、その子はエリシャマ、

27 その子はヌン、その子はヨシュア。

28 また、彼らの所有地と居住地は、ベテルとそれに属する村落、東方ではナアラン、西方ではゲゼルとそれに属する村落、それからシェケムとそれに属する村落、そしてアヤとそれに属する村落に至る。

29 マナセ族との境では、ベテ・シェアンとそれに属する村落、タナクとそれに属する村落、メギドとそれに属する村落、ドルとそれに属する村落であった。これらの地に、イスラエルの子ヨセフの子孫は住んだ。

30 アシェルの子は、イムナ、イシュワ、イシュビ、ベリアと彼らの姉妹セラフ。

31 ベリアの子は、ヘベル、マルキエル。マルキエルはビルザイテの父。

32 ヘベルは、ヤフレテ、ショメル、ホタムと彼らの姉妹シュアを生んだ。

33 ヤフレテの子は、パサク、ビムハル、アシュワテ。これがヤフレテの子らであった。

34 ショメルの子は、アヒ、ロフガ、フバ、アラム。

35 彼の兄弟ヘレムの子は、ツォファフ、イムナ、シェレシュ、アマル。

36 ツォファフの子は、スアハ、ハルネフェル、シュアル、ベリ、イムラ、

37 ベツェル、ホデ、シャマ、シルシャ、イテラン、ベエラ。

38 エテルの子は、エフネ、ピスパ、アラ。

39 ウラの子は、アラフ、ハニエル、リツヤ。

40 これらはみなアシェルの子で、一族のかしら、えり抜きの勇士、長たちのかしらであった。戦いのとき軍務につく者として彼らの系図に載せられた者の数は、二万六千人であった。

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